20170130


            V2017-01-30版
「将来何になるか」はどうでもいいのだろうか?




中学 高校生になると突然「進路」という言葉が出てくる。

中学などでの「進路」は
「あの学校にこの成績で入れるかどうか」が
大問題のよう取り上げられている。
それはそれで大問題だろうけど
それより前に
考えておいた方がいい事はないだろうか?


「将来何になるか」はどうでもいいのだろうか?
それに対する知識をきちんと与えられる必要が
ありはしまいか?

学校の成績だけで「あの学校にしなさい」は乱暴だ。

消防士、一級建築士、電気工事業
弁護士、インストラクター
行政書士、「造園業
薬剤師、漢方薬剤師
小説家、主婦、教員
学者、自衛隊員、地方公務員
歯周病専門医
歯医者、看護士
ファイナンシャルプランアー
結婚相談業
住宅リフォーム
解体業、ピアノ教師
建築業、学習塾経営
俳優、八百屋業
魚屋、不動産業
裁判官、気象予報士
歌手。外壁屋根塗装業
不動産コンサルティング
作詞家、茶道、生け花
造園業、テニコーチ
金融業、社会保険労務士


いろいろな職業がある
・作る仕事
・育てる仕事
・直す仕事
・慰める仕事
・楽しませる仕事
・保守する仕事
・知らせる仕事
・教える仕事
・考える仕事

いろいろな分離の方法がありそうだ。
そして
一つの仕事でも複数の機能を
要求されるはずだ。

また
一つの会社にも
いろいろな職業の人が
働いているという
案内さえも
されていないように思える。

警察にはお巡りさんしかいないのかどうか?
大自動車会社には工場の人しかいないのかどうか?
生徒たちに話し合いさせてみたらどうだろう?
そこのはどんな職業があるのだろう?


そのように生徒たちに
作業し考える時間を
週に1回ほど
与えてみたらどうだろうか?

それらを通して
なんとなく
地球がわかってきたり
自分のぼんやりした方向が
わかってくるのではないだろうか?

「成績」だけを基準にして
その生徒の将来を決めてしまうと言うのは
乱暴なような気がするし

書籍、NHKなどのいい番組など
情報も与えぬまま
「どうする進路?」
はひどいと思う・

結論を
押し付け
未来をあきらめさせるのは
もったいないと
思う。